20歳の春休み、ぼくは初めてインドの田舎へと一人旅立ちました。インドのことは何も知りませんでした。ある少数民族の研究が目的で、わずかな縁を頼りに、神秘とカレーとうんちの国・インドの奥の奥へと飛び込みました。

 

 

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州都の街並み。

初めに訪れたのは、その民族が住む州の州都でした。
ピンとこない人も多いと思うので、熊本県にたとえれば、阿蘇近辺に少数民族がいっぱい住む村がたくさんあるけれど、そこから少し離れた都会の熊本市に住んでいたようなイメージでしょうか。離れているとはいえ、州都は都会なので、勉強や仕事のために、その民族の人がいっぱい住んでいます。

 

 

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村の様子。

初めの1カ月、州都で20人ほど友達を作り、少し彼らの言葉が分かるようになりました。そして、仲良くなった友達の帰省に合わせて、村へ連れていってもらいました。村には、お風呂もトイレもなく、仕事は農業しかありません。電気はほとんど普及していないのですが、ブラウン管テレビと携帯電話はなぜかあります。ネットはなくて、彼らは自分たちの世界以外のことはよく分かっていません。

 

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家の様子(夜)。この家は吹き抜け付の開放的な設計です。

 
「日本から来た」といえば、「ネパールより遠いのか」とか「電車で来たのか」とよく聞かれます。また、「テレビで山に穴が開いているのを見たことがある。あれは実在するのか」と、鼻息荒く、トンネルの実在性を尋ねられたこともあります。人間が月に行ったことがあることも、きっと知らないのだろうと思います。
彼らは貧乏だし、人類が成し遂げてきた偉大なアチーブメントを何も知りません。時間だけは持て余していて、毎日祭りに行ったり、家の中でペッペペッペ唾をまき散らしたりしています(効能は不明)。
彼らは日の出より早く起きて、日の入りより少し遅く寝ます。トイレがなくて、男女とも野外で用を足す必要があります。女性はみんな深夜に起きてこっそりと行くそうです。お風呂は石鹸を片手に、近くの井戸や川で体を流します。女性もタオルを巻いて何の不便もなさそうに体を洗っています。お婆さんにもなると上裸で町を徘徊していますが、いつを境にそうなるのか、デビュー初日の緊張感等については詳しくは分かりません。

 

 

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自慢げに狩猟道具を見せてくれています。

ぼくは朝が苦手なので、みんなに呆れられているだろうとは思いながら、毎朝9時半頃まで寝ていたのですが、ある日はたまたま8時前に目が覚めました。家の中が静かだったので外に出てみると、近所の子供たちが8~9人ほど集まって、こま回しをして遊んでいました。大人たちは、家事の合間にそれを囲んで楽しそうに見守っていました。ぼくも近くでその光景を見ていました。なんだか幸せな気がするなぁとぼんやり思いました。しばらくして、子供たちはこま回しをやめて解散していきました。

 

 

その日からしばらくぼくは、彼らと日本人のどちらが幸せなのか、真剣に考えました。日本では、技術や自己実現の考えが発達していて、人と時間は細切れに割かれていて、刺激と達成感に溢れた生活をしています。東京では一人一つの小さな個室をあてがわれ、隣人との間には分厚い壁があります。ITの進化により、5分単位で仕事ができるようになり、その結果、人の時間と心から余白が消しこまれていきます。
医学の発展、技術の進歩により寿命は長く、生活は便利になりましたが、それゆえに彼ら少数民族よりもわれわれ日本人が幸せになっているとは、確信できない部分があるのです。科学と経済の発展にはメリットがあることは確実なのですが、そのメリットは賢く選択する必要があり、この選択は難しいことだと思うようになりました。日本であれば国民全員に保障されているごく最低限の部分、教育と医療と警察や消防、これくらいあれば十分で、あとの便利グッズは幸せにはほとんど関係ないのではないか、そう思ったりもしました。車があることが当たり前の生活環境で車を持っていないことは非常に不便で、ときに不満や不幸にもなりますが、車がないことが当たり前の生活環境では、車がないからといって不便を意識することはありません。
そうしてぼくは、日本の経済発展とか、あるいは個人として出世して財産を築くとか、研究で成果を出したり名を残したりするといったことにあまり興味を持たなくなりました。むしろ、せっかく生まれてきた人生を、どう過ごすのが一番良いのか、そういうことを改めて考える時間が多くなりました。

 

清く生きるのがいいのか。楽しく生きるのがいいのか。どれくらい社会と関わって、どれくらい勉強して、どれくらいお金を稼ぐのがいいのか。満足な豚であるより、不満足な人間である方が良いのか。考えることよりも実践することの方がはるかに難しいので、結局考えたことを活かせていないという説もあります。

 

たぶん、ぼくと同じ世代の若者は、会社の上司や同僚に対してあまり表に出さないだけ(出世に興味がないと会社で言っても損するだけだから)で、こういうことを多少なりとも考えたりする人も多いのだと思います。さとり世代、欲がない、何を考えているかよくわからない、と言われたりするわれわれの世代ですが、そんなこんなで、われわれは幸せを追い求めてインドに移住し、それなりに満足している次第でございます。

デリーの安宿街、夕方。

デリーの安宿街、夕方。