ワークシフト―WORK SHIFT―という本を読んでいたら、グサッと刺さる言葉がありました。

 

言い回しは正確に覚えてないんだけど、こんな感じの内容だった

 

 

―――未来の世界では、家族が離れ離れで暮らす人が増え、

その人達は、アバターを使って3D電話をしたりはするが、現代より直に会う頻度は減っている。

 

また同僚とはお互いのアバターとしか会ったことがなく、同僚も皆在宅勤務でネット上のオフィスに出勤しているので、日々の暮らしで実際の人と会うことは少ない。―――

 

 

仕事を求めて海外に出て、家族と離れて暮らす人が増えるというモデルケースで

家族や人との交流はネットを通じてがメインで、何かが抜け落ちた潤いのない毎日を送っている、という紹介のされ方だった。

潤いは別として、私も変化の渦の中にいるな~と思いました。

 

 

今日、日本にいる家族とラインでビデオ通話をして、それを思い出しました。

本については、これ以上考察しないけど、今日思った事をつらつらと書いてみます。

 

 

 

インターネットで家に居ながらにして触れられる世界が広がったので、世界が近くなったような感覚があるけれど、

それについて考えることも多い気がします。

 

 

 

実際に会うことは何にも代えられないと思う気持ちもあるし、

でも一方で、ライン電話のおかげである程度は会えたような気分を味わえるのは事実で、それはありがたい限り。

 

 

 

ただ面白いことに、ペットの犬とか甥っ子(赤ん坊)とかとビデオ電話で触れると、

逆にビデオ電話をする前より会いたくなったりするものです。

 

犬や赤ちゃんとは、言葉以外でのコミュニケーションが主だから、

言葉を主とする電話という手段では満たされないのでしょうか。

ビデオ電話では鮮明な動画が見えるのに、それでもなお、というかむしろ会いたくなるのだな~と。

 

 

 

会話ツールの技術進化は家族が大好きな私でも海外にポーーンと出てこれた、大きな理由かもしれない。

 

 

 

と振り返ると、ネットの会話ツールについては発展段階を経験してこれたな~と思います。

 

 

 

高校生のときは、ガラケーしか持っていなくて個人のパソコンもなくて、

だから当時の私には連絡を取る術が国際電話しかなくて、ホームステイ先に家族からの手紙が届いて涙した記憶があります。

 

たった3週間の語学留学で、日本から一緒の同級生も何人かいて現地でもお世話してくれる人がいたのに、やたら心細さを感じたな~。

 

現地からは、お世話してくれる人がブログで近況報告をしてくれて、日本から保護者は様子を見れていたので、留守番側は安心だった様子。

 

 

 

大学生の一人旅行の時はメールとスカイプしか手段がなく、Wifiがカフェやホテルのロビーなど限られていたからなのか、ある程度ホームシックになっていたな~。

 

Wifiも電波が弱くてそんなにビデオ電話もうまく繋がらなかったり、母がスマホをまだ使いこなせていなかったり(スカイプはLINEほど広い層に普及してなかったし)

で今日のライン通話ほど気軽に快適に、相手を疲れさせることもなく連絡できたわけではなかったような。

 

 

 

そして今日のライン電話は、素晴らしく快適。

こちらのWifiが弱いのか私からの声が遅れて聞こえるようですが、それ以外はスムーズ。

しかも母も日常で使ってるLINEを、そのまま使えるから家族にも手間をかけないで良いので気軽。

 

 

 

私が今ホームシックにほとんどならないのは、夫と一緒に住んでいるからというのが95%だけど、

5%はいつでもLINEとFacebookで日本にいる家族や友達と連絡がとれるからなのかもしれないと思っています。

 

 

これもきっと数年後には、こんなだったな~と思っているのでしょう。

 

人の感情とテクノロジーの進化って面白いと思った日でした。

 

 

 

 

壮大な近未来を考える気分だったらワークシフト面白かったです。